恵信生活六十年とわれらの使命

恵信生活六十年とわれらの使命
武蔵野幕屋創立44周年記念
(讃歌独唱の音声あり)
 武蔵野日曜集会  1984年9月23日
小池辰雄


目次】
●私の福音の気合 ●どん底で入信 ●不思議な回り合わせ ●信頼一点張り ●詩人と学者 ●聖霊のバプテスマ ●◯の中に十の印 ●賜りたる無 ●「無の光」 ●百行一死に如かず ●全召団の使命 ●みんな使命はそれぞれ ●(詩)「今はいづこで」 ●(詩)「明治と大正」 ●(詩)「東京駅頭」 ●(詩)「ああ見晴るかす」 ●(詩)「世界に名だたる」 ●(詩)「汝れわが衷に」


●私の福音の気合
今、内村鑑三先生の全集が時代を追って出ているので、非常にその点はいいですね。やはり、人間の歩んだ跡というのは時代を追って叙していく方が、姿がわかる。個人の歴史も、人類の歴史もそうですから。項目で並べるよりかかえって味がある。
今日はあそこに「旧会員諸兄姉の感話証言」と書いたけれども、古い方はいらっしゃったかな。いらっしゃらない。かなりの人に通知を出したんだけれども、来れない。みんな何か思っているようだね。私はなにも思ってないんです。私は本当に簡単なんで。昔がどうだったこうだった、そんなことは全部思ってない。そういう私の福音の気合は受けとらないんだね。本当にそういうところは残念でしょうがない。残念でありお気の毒であると思う。まぁいろいろご都合があったら、
「せっかくですが、行きたいんだけれども、こういうわけで来れない」
と一言、葉書でもくれればいいんだけれども。人間というのは、葉書の往来だとか、会話、対面、これは大事なことなんです、コミニュケーションはね。
手島さんのことを少し調べたいというので、三、四日前に「マクヤ」の方が来られた。そのことを予め言ってきていたので、では、手島さんの手紙でもひとつ調べてみるかなと。私は、人からいただいたお手紙や葉書が一万通以上ある。だいたい私はそれに返事を書いている。昔のものを開くと懐かしいわけだな。みんないい手紙をくれているからね。ああいう書簡集というのも出してもいいくらいに思うんですけれども。手島さんのが十二、三通出てきた。それを見せたら、マクヤの人が驚きかつ歓んだね。私とこんな深い交わりがあったかと。手島さんは私のことを非常にアレして書いているんです。私の書いたものについても。それでむしろ、びっくりしたらしいね。「これは是非コピーしたいから」と、持って行ってしまったので、今日はないんだけれども。私は人のそういった心をこめて書いたものは、破ったり捨てたりする気はないものですから、全部とってあるんです。あれを見ると――私は自分の日記なんかはいいかげんですけれども――あれによって自叙伝が書けるくらいです。
今日は、キリストの恵みとこちらがそれに応ずる信仰の六十年ということを回顧しながら、「我らの使命」という題でお話しようというわけです。兄のことは『随想集』には歴史的に出ていますから、どうぞまたそれを読んでください。だいたい、今までの七巻とこれから書く五巻、これで私は言いたいことは、散文ではおそらく全部本質的には言ってしまうと思います。だから、それ以上はいいんです。あとはもう録音をお聞きくださればいい。
●どん底で入信
私が中学生のとき、私の兄貴が一高東大の時代ですけれども、小石川の同心町に住んでいた。二階の同じ部屋で机を並べていた。兄は内村先生の大手町の集会に出かけ始めました。高等学校の二年か三年の頃に。それから、彼は勇ましいことは初めから勇ましいんだけれども、喧嘩の親玉くらいに勇ましかったけれども、ハッキリと変わった。勇ましさは勇ましいけれども、非常にパーッとひたむきになって進んでいるという姿。机の上に聖書が置いてあって、彼は必ず毎日読んでいました。半年で創世記から黙示録まで読んでいました。ちゃんと開いていく頁が毎日毎日変わっていくからわかるんだ。私はキリスト教は――その頃は「ヤソ教」と言った――
「ヤソ教はどうも……」
と。兄の在り方には、私はもちろん感服していたけれども、宗教のことは全然だめなんだ。読もうともしないし。また、兄も私に「読め」とも言わないし。それで、午後の九時になると廊下に出て、欄干の手すりに手を置いて必ず祈っていました。母の言うことは全部、
「はいっ」
と言って全部聞いてよく実行してました。お母さんはまだそのときは信仰はありませんけれども。今の若い人みたいに、すぐ口応えしたり、いろんなことは全然ない。これはまぁ私も、小学校からの教育がそうでしたけれども。昔のああいう姿勢は、いい意味において復活しなければ。今は、家庭や学校の問題はみんなどこから来ているかというと、間違った民主主義からきている。
兄は大学を卒業して、その翌年の秋に大蔵省からロンドンに赴任することになっていた。ものすごく英語ができましたから。ところが、上役の人が自分の知っているのと切り替えた。そのために今度は、
「北京に行くんですか」
ということになってしまった。それで北京に行ったら、これが運の尽きで、あちらで腸チフスで仆れたというわけです。正直、仆れてならない兄貴でした。兄弟のうちでいろんな意味で優秀でしたから。大学二年の一学期でもう三年までの勉強をしてしまって、高等文官試験に通ってしまったんだから。
それで、家をたたんで、母はその失望落胆と今までの過労でもって失明してしまった。これは私はどん底でしたよ。どん底にたたき込まれた。しかし、兄の死と母の失明で私は目がさめた。それで内村先生の本を読んだらもうグッときまして、内村先生の集会に――水戸で病気にかかって、やっと治って――出かけて行ったのが、1922年の秋。23年の春に本当に入信という気持になった。1923年3月23日と覚えてます。記念写真を撮った。
●不思議な回り合わせ
水戸高等学校のときは身体が弱くて、どの学年も完全に試験を受けてない。見込み点をもらっては上がっていた。それでもドイツ語はわりあいに得意だったものですから、ドイツ文学科に入った。水戸でルター、ヒルティを読んだ。特にヒルティの『眠られぬ夜のために』は読んだ。それから大学に入って三年間、これは藤井先生のところに。藤井先生が私の兄を非常に気の毒に思ってね。藤井先生に兄貴が聞いたらしい。
「北京に行っていいですか」
と聞いたら、先生は、
「よかろう」
と仰った。なにも先生が特にお勧めになったわけではないけれども。それで先生は非常に責任を――先生の責任でも何でもない――感じられて、非常に気の毒だったと。兄はゴーデイのいろんなものを訳していて、『キリストの復活』というのを先生は自費出版してくださった。
兄の持っている『聖書の研究』、内村先生の著作を非常に私は読んだ。藤井先生とご縁ができたので、藤井先生のところに大学一年の3月7日――『聖書の結婚観』という本をその時すぐにくださったけれども――その日は雪が降っていた。それが正式に先生の集会に出かけて行った最初なんです。その前の秋にも私は行ったらしい。その時に聞いたのが黙示録の22章。そして、最後に先生が天界にいくときに、1930年6月30日、最後の集会が黙示録22章。黙示録22章で始まって、22章で終っている。これも不思議なことで、非常に私は黙示録と関係がある。
内村鑑三先生に、高等学校時代に土曜日曜に出かけて行っては、大手町の集会で教わった。最初が山上の垂訓、これもおもしろい。最初に聞いたのが山上の垂訓。
「幸福なるかな、心の貧しき者。天国はその人のものなり」
と。その時は、先生も非常に感激して語られたらしいですが、何だかその内容は覚えてないですが。ずっとあとになって、この句が私にとって大事な句になった。これも不思議な回り合わせになっている。なにしろ不思議なことが多い。マルチン・ルターのドイツ語の聖書を水戸の高等学校で買った。その日が偶然にもルターの生れた日、11月10日。それからダンテのものを買った時もダンテの召天の日、9月14日。『詩聖ダンテ』という本です。ゲーテにも何かあった。なにか回り合わせというのは変なものだね。
●信頼一点張り
藤井先生は淡々としてしゃべった。先生は旧約が好きだったね、特に預言者が。1927年の秋は預言書を大観された。ずっと、預言者を鳥瞰するようにして仰った。非常に印象深かった。そのときに野原で午後に先生が一緒に読んでくださったのがダンテです。私は英訳のロングフェローの訳で読んだ。
要するに藤井先生から何を結局ひっくるめて教わったかというと、「信頼」というこの言葉です。
「神に信頼して生きる」
と。「信仰」という言葉よりもむしろ藤井先生は「信頼」という言葉が好きだったらしい。先生自身が本当に信頼して暮らした方です。内村先生も藤井先生も生活ぬきには思想がない。
とにかく、生活の裏付けのない思想なんてものは観念になる。私は、無教会は観念なんていうことをいますけれども、しかし、内村先生や藤井先生は単なる観念ではない。ドイツの観念哲学だってただ観念と言い切ってしまったらわるい。本当に神に信頼している。藤井先生というのは貯金しない人なんだ。先生が亡くなった時は、
「財布は空っぽだった」
と、矢内原先生が言った。さぁ、お子さんたちの生活はどうするかと。藤井先生はちゃんと自分の著作を残して逝かれた。この著作集を、藤井全集を出そうと。その藤井全集の印税でもってお子さんたちの生活がたった。矢内原先生がどれだけお助けになったかは知らんけれども。だから、信頼一点張りです。
「江戸っ子は宵越しの金は使わない」
なんていう。まぁ藤井先生は江戸っ子ではないけれども。兄貴はそっちの方ですけれども。本当に一日一日を神に依り頼んでいる。内村先生が、
「一日一生」
と言ったのもそういうところでしょうね。
「一日を生き抜く。いつ仆れてもいい」
と。そういう気合は非常に大事なことです。
だけれども、「信頼」というと、今度は「信頼の仕方が本当かどうか」なんて、そんなことを省みるような信頼の仕方ではダメなんですよ、本当は。ただしかし、私は藤井先生の生活とその言葉からは、それを煮詰めれば「信頼」ということだということを今でも思います。
私の信仰の土台は藤井先生のところでできました。体験からものを言っている方です。だから、藤井先生の聖書のお話は決していわゆる註解的なお話ではない。聖書を通してやはり先生はしょっちゅう告白している。そういう意味においては、藤井先生は私には非常にふさわしい先生だったんです。私はあることを思うでしょ。そして行くというと、その日には私の思ったようなことをしゃべっているんだ。
「しょうがないな、先生は同じようなことを考えているなんて」
と、そんなことをよく思ったことがあります。非常にその点では似たところがある。人間的にどこまで似ているかは別問題ですけれども。
●詩人と学者
藤井先生が仆れてしまって、それから三年間は私はじっとしていました。ただ自分で聖書を読んでいた。ある人を塚本先生の集会へ――藤井先生の親友です。これは西と東くらいに性格的には違う。けれどもこれは親友なんだ。似た所にも住んでいる。駒沢新町。歩いて行けば二、三分でつくような所に――連れて行って、私は塚本先生に言った。
「この人を連れてきましたけれども、私もこれからしばらくご厄介になります。ある時がきたら、私一人でやりたいと思いますが、よろしくお願いします」
なんてハッキリ言いました。
藤井先生の集会には5年間無欠席で出たんだが、塚本先生には7年か8年ご厄介になった。大手町で司会をしたり、ヘブライ語のクラスを持たされた。ヘブライ語のクラスを3年間もった。藤井先生は本質的には詩人です。哲学的な詩人だ。塚本先生は聖書学者。学者だけれども、信仰はお互いに非常に通ずる。だから、聖書学の方は塚本先生から。聖書の身読の角度は藤井先生から。内村先生と藤井先生は1930年に仆れた。
それから、先生がたおれてから10年目に、1940年にここで集会を始めた。ここはまだ武蔵野村と言った。その縁側から富士山が見えた。1940年から始めて、創世記からずっと啓示の歴史的にやっていった。始めは12、3人かね。その頃の人はもう一人もいない。
夏の特別集会はもう31回、31年やったわけだな。1954年あたりから始めている。小諸のひまわり荘で。これもはじめは10人くらいです。小諸が一番多いですけれども、方々でやりました。御殿場でもやりました。
「わが山に流れてやまぬ山水のやみがたくして水はゆくなり」
と。始めは私の信仰の角度は、私は情緒的な人間だものだから、ロマンチックなんだよな、信仰の性格が。ロマンチックな、また多少、イデアリスチックな、理想主義的な。浪漫主義的、理想主義的。その時の時代もそういう時代でしたけれども、そういった信仰であった。憧憬的なあこがれだね。藤井先生が、「理想と現実」ということをよく言われた。
「理想に生きろ」
と。現実はどうせダメなんだから、理想を目指していく。藤井先生は奥さんを亡くなされていたから、永遠の希望、来世を相当強調しておられた。だから、憧憬的な、理想主義的、浪漫主義的な気持が多分にその信仰にあったわけです。
●聖霊のバプテスマ
今度は、塚本先生のところに来たでしょ。そうすると、ここは研究なんだ。聖書の研究。
「さぁ、ヘブライ語だ、ギリシア語だ」
と。もっとも、私は大学で最初にヘブライ語をやって、それからギリシア語をやった。まぁ欲張ってしまってね、ラテン語だ何だかんだと。特に私はヘブライ語は先駆者だったから。それで、塚本先生に、
「ヘブライ語のクラスを持て」
なんて言われたんですけれども。ヘブライ語の文法も書いた。非常にここでは信頼の角度に研究という角度が強く出てきた。私はもちろんそれでは飽き足らないことはもうはじめっから分かっている。けれども、それはひとつの大事なことだ。聖書を地道に研究する。それで詩篇を選んだわけです。それくらい地道にやった。けれども、私のあそこの解説のところはもうそれを完全に乗り越えた世界を書いている。私の解説はいわゆる註解ではない。その私の訳と解説を読んで、非常に感激したのが手島郁郎なんです。手島君が、「小池さんの詩篇は」と言って手紙をくれて、
「これはぜひいっぺん熊本へ来ていただきたい。一緒に集会したい」
と。二、三回、手紙をくれた。これは1949年頃。それで、私は出かけて行った。詩篇の話をしたり、イザヤ書の話をした。私の詩篇がきっかけになって、手島さんとは交わりが始まった。
塚本先生に通って、それであと今度はこちらで始めますと言ったのが、1940年になる。それから集会が始まる。始めの10年間は無教会的であった。まだ一生懸命で調べて、ちゃんと原稿を置きながらしゃべっていた。ところが、1950年の――おもしろね、これは10年毎になっている――11月3日から5日の集会がこの阿蘇の垂玉温泉の滝見荘。これが私にとっては決定的なことになった。これが完全に峠の集会だ。この時の女の方の――24、5人いたかな――これが全部、霊歌の斉唱ですよ、自ずから。みんな目をつぶっているんだけれども、自ずから霊歌のリズムです。中味は言葉ではない。何というか、それが合っているんだね。あんな霊歌の合唱というものは未だかつて、それ以後も聞いたことがない。私は天界からいきなり聖霊が来てしまって、坐っていたのにグーッと上にあがってしまった。ドカンと落っこちたけれども。ただ空中にいやしない。それから全身しびれてしまって、
「これはえらいことだ。これが聖霊のバプテスマか」
と。そして異言が迸ったものだから、
「先生、それは本当の異言ですよ」
なんてやっていたけれども。彼は先にもう異言の体験があるんだ。なにも手島君に按手してもらったのではない。帰りの汽車の中で聖書を読んだら、もうベールがとれている。今まで何を読んでいたかと。もう聖書の次元というのはこの聖霊の次元だということがハッキリわかった。
だから、無教会の今までのところはダメだと。次元がちがってきた。聖書の次元というのは、預言者、使徒たちの次元はまさに御霊の次元である。躍動しているんだよな、文字が。これは全く1950年の秋というのは私の信仰生活で峠なんです。
●◯の中に十の印
内村先生は聖霊のことを言われた。推察力が強い人なんだ、内村先生は。研究や推察力。とにかく無教会で一流の人たちは、頭でもって考えてものを言うことは、中味は優れている。けれども、その裏付けが――内村先生は裏付けがないとは言いませんよ――けれども、やっとそのことに気がついたということは、聖霊の体験をそこで言って気がついているのではない。やはり、学問的に気がついた。あるいは一種のインスピレーションで気がついた。けれども、本当に新しい聖霊を受けて、「こうだ」というのではない。別なところでも内村先生は非常に、
「聖霊は集団に臨むものだ」
ということを言ってらっしゃるところもある。けれども、預言者はみんな個人です。一人に臨んできた。もっとも、キリストの場合の聖霊ではないけれども。使徒たちはみんな集まって祈っていたらペンテコステになったでしょ。パウロはちがうんだ。パウロは一人――逆らっていたやつが、引っくり返された――パウロは一人だね。だから、どっちだっていい。どっちだっていいけれども、とにかく、個の場合と群れの場合とある。それは群れの場合の方が可能性は多い。だから、特別集会をやると、引っくり返される人が多いわけだ。夏の特別集会がそういう意味でも大事なんだ。
そういうように、御霊が臨んだ。無教会は十字架を仰いでばかりいる。内村先生は、
「十字架を仰ぐ。仰ぎみる」
ということをよく仰った。パウロは何と言ったか。
「われキリストと共に十字架せられたり」
と言ったではないですか。
「一緒に十字架された。もう生きてないんだ」
と。相対的な人間小池は十字架されて死んでしまっている。無なんだと。しかし、相対的な私はあいかわらず罪びとですよ。罪びとの奥に罪なき世界をつくってくださったのがこの十字架です。だから、そういう
「絶対矛盾の自己同一」
というやつですよ。西田哲学は実は我々の体験なんです。絶対矛盾の自己同一。
「煩悩(ぼんのう)即菩提(ぼだい)」
という世界なんです。あの「即」がみんなそうです。
「穢土(えど)即浄土(じょうど)」
という。仏教だってそうです。絶対の救いの世界というのはみんなそうなんです。禅宗でいえば、本来の仏性を悟らなくてはいかんと、今度は悟りの世界になる。そうすれば他のは消えてしまうと。しょっちゅう雲がかかるものだから、そいつを修行でもってやっているのが――まぁご苦労さんなはなしだけれども――禅宗なんです。
ところが、こちらは修行ではない。福音の世界は、修行ではないけれども、もちろん鍛えられなくてはいけません。
「もはやわれ生くるにあらず、キリストわがうちに生きたもう」
と言ったのは、
「御霊のキリストがわがうちに来たりたもう」
ということ。ガラテヤ書2章20節というのは我々の信仰をそのまま本当に表したものです。
「◯の中に十の印」
これが我々の信仰の印なんだ。十字架(十)を書いてこれを聖霊(◯)でもって囲む。これが召団の印なんです。
内村先生のあれだけの素晴らしい言葉があるのに、なぜ、「内村鑑三、内村鑑三」と言っている人たちが、
「先生がそう言ったなら、それを私たちは本当にやって行こう」
としないか。いつも先生の言っていることを「こうだ、ああだ」と言っておしまいになっている。藤井先生が、「理想と現実」と言ったけれども、大事なのは理想ではなくて現実なんです、本当は。御霊の信仰はこの現実のものなんです。
私は大学時代に哲学の本やなにかを読んで、この「現実」という言葉が非常に好きになった。まだ聖霊を受けないときだったけれども。理想の影を宿していなくてはいかん。この理想を宿す現実は――プラトンは本当はそういう角度から哲学したんですよ。「アナムネーシス」(想起)という言葉がそうなんです――そういうこの現実が本当の現実であるためには、聖霊がこなければ現実が現実にならない。これも矛盾構造です、現実ももちろん。煩悩即菩提という。煩悩の現実、相対的現実の中に菩提が来ているという。それが「即」なんです。それが勝っていく。それが主導力になっていくんです。煩悩を自分で消そうとしたりすることはない。どこまでも菩提の世界をグングン進んでいけば、しらないまに煩悩はどこかへいってしまったなんてことになる。それが現実のすがたです。
●賜りたる無
それで、私が集会を始めて、1950年からこの集会の性格が変わってきた。もの凄い勢いで展開し始めた。そうすると、「そいつはやりきれない」と言って逃げて行った人がいくらもいた。いろんな波風が立ってしまった。御霊の現象が起きる。現象を警戒する人がある。また、人間小池に躓くやつがある――「やつ」と言ってはわるいけれども――私は私みたいな野郎ですから、いつも十字架されながら、十字架を担いながら進んで行くわけです。人間はお互いさまではないですか。
「義人なし、一人だになし」
とパウロが言っているわけです。
「私は罪びとの首(かしら)」
とも正直、書いたです。そういう相対的な人間批評をいつまでもやっているうちは、その人自身がダメになっていく。問題は一人びとりが本当に、
「キリストの姿に化せられるなり。主の栄光に化せられるなり」
と、パウロが言ったとおり、そこに向ってお互いに助け合って行こうじゃないですか。
「倒れたら、躓いたら、担(かつ)いであげますよ」
というのが本当の友情ではないですか。「あの野郎はあんなことして、けしからん」なんて言って、それをやっているのが無教会なんです。藤井先生が「真実」と言うから、「真実がない」なんて言い出したり。
私が言っている「無」は、
「賜りたる無」
だからね。私はなにも無い。善きも悪しきもなにもない。善きものも悪しきものも何もない。十字架されている。相対的な善き悪しきなんていう、そんな問題はもはや問題でなくなってしまった。問題はキリストの無限無量だけなんです。だから、無は同時に無量を表している。無限を表している。まぁ仏教の世界では「空」ということもずいぶん言うけれども、同じことだ。この「無」は、これはちょっと、こうやって集会を一緒にしてなければ、わからないんです。
けれども、『無の神学』は、なんといっても私の書いたものの一番中心ですから。「神学」なんていうものだから、なにか「いや、神学はちょっと困った」なんて、そうじゃないですよ。私の神学はいわゆる神学ではないから。皆さん、これを伝道に使ってくださいよ。「この人には読ませたい」という人には。『無の神学』は非常にその点でまとまって書いてある。あれを読めば、聖書の世界も全部その本質がわかる。「無」なんて言うものだから、躓きになるんだよ、この言葉が。「無なんていうのは困る」なんて言って、頭から受けつけないんだけれども。そうじゃないです。
「何ものでなくていい」
というのだから、こんな有り難いことはないじゃないですか。「お前はこうでなくてはいかん」とか、「これだけ聖書を勉強しなくてはいかん」だとか、なんとかかんとかではなく、全然無条件なんです。無条件の世界です。無条件世界。ところが、みんな自分で条件付けている。条件付けることが本当は実は、罪なんだよな。サムシングと思うことが罪なんです。ナッシングです。
●「無の光」
今度の『エン・クリスト』第20号(1984年10月秋季号)の独和対照に「無の光」というソネットを書いた。これは大事な詩ですから。独和でもって一番素晴らしいのはこれであると言ってもいいくらいです。

「無の光」      
  ――ソネット――  1984・8・4 天韻 
ことの成否を顧みず、
ただ仕事を愛する。
合格・不合格を乗り越えて、
ただ最善を尽くすのみ。
  競技の勝敗を念とせず、
  ただ全存在で自己と戦う。
  投手と投球を凝視して、
  全霊全身でかっ飛ばす。
このように何ごとも無私の存在で為(な)せよ!
そのとき我れ無き我れが燃えるのだ。
こうして無即全が妙(た)えに現ずる。
  神なる源泉と一如(いちにょ)なる
  霊的な生と動と存在に於てこそ
  宇宙の無の光が現れる。

「ことの成否を顧みず、
それが出来るか出来ないか、出来たか出来なかったか、そんなことは顧みない。
ただ仕事を愛する。
何でもいいから。勉強でも何でも、それを愛しなくてはいかん。楽しくやらなければいかん。楽しく。仕事を楽しむようにならなくてはダメなんだ。
合格・不合格を乗り越えて、
ただ最善を尽くすのみ。
自分の最善を尽くせば、不合格だって何だっていいじゃないか。神さまは知ってるぞと。
 競技の勝敗を念とせず、
 ただ全存在で自己と戦う。
ランニングでも何でもみんなこれは、勝とうとか何秒だなんて、そんなことではない。ただ己と戦うのが本当の競技なんだ。スポーツの根本精神は自己との戦いだと私は言いたい。相手を倒すとか相手よりか何秒速いとか、そんなことばっかり気にしているだろ、みんな。ダメだよ。そんなのは本当のスポーツ精神ではない。マラソン競争だっていろんなテクニックがあるらしい。二番目に走った方があとでどうのこうのと。それはテクニックもあるだろうけれども、根本精神を忘れてはダメなんです。
 投手と投球を凝視して、
 全霊全身でかっ飛ばす。
この次はどういうカーブがくる、やれ何とか球がくる、だなんて予想しては予想を裏切られるものだから、せっかく直球できた打ちやすいやつを打ち損なっている。もうよくあるよ。あれは予想するからいけない。無念でいけばいい。ピッチャーの放り方と、それからくるその球でもって直観できる。そうしたら、パッと打たなければ。空振りしたっていい。そういう気合がない。投手と投球を凝視しなくてはいかん。その時に瞬間的にくるから、全霊全身でかっ飛ばす。
このように何ごとも無私の存在で為(な)せよ!
この無は賜りたる無です。私の無い存在でするというと、今日の空みたいに晴れ渡ってしまうからね。
そのとき我れ無き我れが燃えるのだ。
「我れ無き我れが燃える」と言わざるをえない。「我れ無き我れ」が無者なんですよ。それが燃えてしまう。キリスト的な我れが燃えている。
こうして無即全が妙(た)えに現ずる。
「ナッシング イズ オール」(無即全)なんです。「ナッシング オア オール」(無か全か)ではない。
  神なる源泉と一如(いちにょ)なる
源泉と一つ。このキリストでもいいですよ。
  霊的な生と動と存在に於てこそ
これは使徒行伝17章28節からきている。「神のうちに生き動きまた在るなり」と。これがゲーテが好きな言葉だった。ゲーテは、「神のうちに生き動きまた在るなり」の角度で彼の魂は呼吸していた。だから、ああいう大詩人なんです。日本に大詩人が出てこないのは、そういう魂にならないからです。高村光太郎なんかだいぶいいけれども、まだだいぶだよな、あれでも。漱石もいいけれども、惜しいね、みんな。もう一歩というところだ。百尺竿頭一歩を伸ばせば十方世界に現ずるという。
  宇宙の無の光が現れる。」
「無の光」という言葉の味がわかるですか。この無の光を現したのがキリストとお釈迦さん。キリストは無の光です。「自分は何ものでもない」とした。あの無者が神の光を光っていたでしょ。
「我は世の光なり」
と。「無の光」とはキリストのことですよ。お釈迦さんのことですよ。宇宙の無の光。私たちはキリストの無者となると、そのような光体にされて、
「汝らは世の光なり」
とはそのことです。我々がキリストの無者となるときに、そのような光が点ずる。このドイツ語のソネットも傑作ですよ。今度、ドイツ人にも見せてやろう。
●百行一死に如かず
そして、この無限無量なるもの、生命の質は何かというと、一言でいえば、愛です。そのことは手島さんが、
「聖霊の愛」
という言葉を発した。あれは素晴らしいと思ったから、私はすぐ賛成した。「聖霊」というと、なにかただ聖き霊で、へたすると冷たかったり、人を審いたりするように思うが、そうじゃないです、聖霊というのは。愛の霊ですから。これはパウロがちゃんと言っているとおり。コリント前書13章は聖霊の愛です。キリストは神の愛の権化ですから。
集会といいながら、お互いにどうのこうのなんて言っているうちはダメ。全幕屋が本当はこの愛に燃えて、燃えざるをえないのが本当の聖霊の世界。「愛に燃える」とは本当にお互いに担っていくことです。人を批判することではない。
「我らの使命」という。私は内村鑑三、藤井武、塚本虎二、手島郁郎という、この内村先生の系統の大事な人物の四人にでっくわした。私の兄貴小池政美が一番先ですけれども。
小池政美は私にとっては、
「百行一死に如かず」
という。百の行為をもって証しても――行為は非常に大事なことなんだけれども――これは行きつくところは死なんです。福音のために死ぬこと。この死の力が私を動かすんだ。兄の死が私を動かした。そしてまた、その私を通して皆さんが動いてくださっている。だから、「百行一死に如かず」という、死の力は。
それで、無限無量の死の力を持っているのが、言うまでもなく、「キリストの十字架」です。キリストの十字架が「一死」。この贖いの十字架が世の末までも地の果てまでも動いていく。贖いの死が土台です。なぜ力を持っているか。死んでも死なないものをこの一死は持っているからです。それが復活の生命です。「キリストの復活の生命」。復活の生命を与えるものは「聖霊」です。だから、
「十字架・復活・聖霊」
は、これは離すことができない。ハッキリしている。
それはもはや頭でわかったって、心でわかったって、ダメなんだ。自分の身体にそれが生きてこなければ、このことが。福音の世界は、そこに自分が生き、その身証――からだでもって証しする――身証とならなければ、すべては空なんです。全部、空なんです。そして、身証は、なにか作品を作る人なら、作品に表れる。何でもあなた方がなさっていることに表れる。商売をすれば商売に表れる。何でもいいですよ。そして、それはどんどん福音のために善用されていかなくてはいかん。向う側へいくときには、百億の金があったって、百億の金を向うへ持っていってどうするんですか。みんなそれは福音のために使っていく。神さまのものだもの。全部、神有なんだ、神の有(もの)なんだ。
●全召団の使命
私はこの秋はしばらく冥想します。来年から書き始める詩の構想を練ります。そして、来年は、平均1か月に100行ずつ書いていく。1年に1200百行、12年かかる。大体、14400行くらいの詩を書くつもりです。ダンテの『神曲』、ミルトンの『パラダイス・ロスト、リゲンイド』、ゲーテの『ファウスト』は、みんなこれよりか少ない。私はこんな大法螺を吹いているようなもの。大法螺を吹かないと、自分で本式に責任を感じないから(笑)。ブラウニングがちゃんと私のために弁護してくれているよ。
「百万を望んで、一も得なくても、その人は本当のひとだ」
と言っている。ブラウニングというのは愉快な詩人だ。
「一足す一なんてやっているのは犬に任せておけ。お前は百万を望め」
と。とにかく、私の中には澎湃としてあるんです。これはどうしても、これだけの福音を受けて、これを表現しないではいられない。ドイツ語にでも訳したいがね。12年というと93歳か。大したことないな。12年で書けるかな。81歳から書き始めるからね。12という数は黙示録からきている。完全数です。
これだけの使徒的な信仰の世界に、その現実に我々は今、足を踏んで歩いているんですから。我々の使命は、この全召団の使命は、それぞれの特色を持ってあい携えて身証していくことです。
「我々の使命はそこらのとちがうんだ」
と。若い人たちはもっと燃えなくてはいけない。いい加減な気持ではダメだぞ、特に青年は。とにかく、昔の人たちみたいにもう少し全存在的に捨身の態度でやっていかなければダメですよ、なにごとも。今は安易すぎる。聖霊がくると、もう力が来ますからね。
我らの使命は、この福音をじりじりと人に伝えなければしょうがない。伝えなければ、生命はこないですよ。いい気になっていたら。天国へ行く門のところで、
「おまえは何をしてきたか」
「こういう人の魂を救ってきました」
「よし、それなら入れ」
と言われる。
「誰も救いませんでした」
「ちょっと、待て」
と(笑)。そんなことになるよ。しかし、
「本当に救おうとしてやったけれども、ついにダメでした」
「よし、おまえが死ぬと、今度は救われるやつが出てくるよ」
と。いいよ、それでも。
手島さんが仆れたときに――とにかく我々は無教会の流れだものだから、無教会の先生が仆れるとみんなその雑誌は廃刊するわけだ。内村先生の『聖書の研究』も、藤井先生の『旧約と新約』も。それは人間的に続けることはわるいとして、雑誌の廃刊をみんなやるんです。けれども、手島さんの『生命の光』という雑誌は聖霊の働きで書かせられているんだから――彼らは聞きに来た。
「先生、『生命の光』をもう止めようかと思っていますが、ちょっと迷っているんです」
なんて言うから、
「何を言っているか! これは聖霊の雑誌ではないか。あなた方はこれを続けないでどうするんだ!」
と私は言った。そうしたら、彼らはびっくりしてね、「そうだっ」と思って、それで今、『生命の光』はああやって展開しているんですよ。
「わが去るは汝らに益なり」
なんです、手島さんは。
●みんな使命はそれぞれ
私はまだ去らないよ。あなた方にまだ益にならないから。私が去ったら、その時は、いいですか、この『エン・クリスト』であろうと何であろうと、とにかく伝道は続けてください、皆さん。続けざるを得ない。もし、続けられなかったら、あなた方に聖霊がないということになる。本当に助け合わないから。お金のある人はお金をどんどん出したらいい。お互いに、わざやお金やいろいろなことで協力していかなければいかん。
「この福音が立ち消えになってたまるか!」
というわけで。
何をしても、本当にこの証になる。私たちの使命はそれぞれ、一人びとりが顔がちがうように、みんな使命はそれぞれなんです。それが大交響楽になる。百花繚乱になる。類型的じゃない。どう考えたって、パウロの福音の性格を完全に――完全と言ったらわるいけれども――私は受けとっていますから。パウロ、ヨハネ、ペテロ、何でもござれ。もう来年から私は書きたくてしょうがないんです、正直なところ。前代未聞なものを書くから。
とにかく、そういうことで、若い人たちはその気合でもって、自分の使命を感じて突き進みなさい。惜しいんだよ、これだけの人数では本当は。だから、「あいつはどうも救ってやりたいな」と思ったら、連れてこなくては。
「まぁバカされたと思って来なさい」
と言ってね。遠慮はいらんですよ、もう世は末ですから。第三次戦争をどうやってくい止めるかね。来たらお終いだから。本当は東西の大政治家を動かさなくてはいかんな。世界的な詩ができたら、読んでくれるかな。そうしたら考えてくれるかもしれない。まぁそれくらいの気持で私は、第三次戦争をくい止めるくらいな気持で書きますから。十二年のうちに起こってくれては困る。どう考えても十二年はかかる。
まぁ、話が話になりませんでしたけれども、そういうわけです。それで、特に『無の神学』は非常に大事なんです。こいつには読ませたいというのにはやってください。
私が戦後に一番先に翻訳したのが、ヨハンナ・スピーリの『薔薇の乙女』というこういう本です。知らないでしょ、みんな。それでは。(以降、召団讃歌を独唱)


●(詩)「今はいづこで」
召団讃歌B6「今はいづこで」
(1980年3月14日作 中山晋平作曲「さすらいの歌」の曲で)
1 今はいづこで 暮らしておるや
  星は移るも 忘れめや
  美(は)しき想い出 かぎりもあらじ
  おみなおのこら 今いづこ
2 あつき祈りを ひとりで祈り
  十字架のもとで われは待つ
  岩にせかるる 谷川の如
  流れ流れて 会うときを
3 受けしみ恵 忘れておらじ
  聖書(みふみ)ひもとき 祈れかし
  昔を今の み霊の愛よ!
  いつか集会(つどい)に 馳(は)せて来よ


●(詩)「明治と大正」
召団讃歌B8「明治と大正」
――七十七路(1981.2.7)の峠にて――
(1981年2月1日作 讃美歌312 「いつくしみ深き」の曲で)
1 明治と大正 昭和五十六(いそろく)
  はやくも過ぎにし 七十七路(ななそななじ)よ
  辿(たど)りける路は 惨(みじ)めなれども
  み恵みは深く 胸中(みぬち)にぞある
2 わが兄政美と 内村・藤井・
  塚本の師恩 など忘れめや
  友なる手島と 阿蘇の山にて
  受けたる聖霊(みたま)は 我らを変えぬ
3 かのときこのかた み霊(たま)は宿り
  使徒らの次元に つらなりたれば
  霊(く)すしきみわざは 破れ器に
  現われ給えり ただ聖名を讃(ほ)む
4 旧約新約 神のドラマぞ
  聖書の焦点は 無者キリストぞ
  彼は無私の人 神はすべてぞ
  神秘のこの無に 漲(みなぎ)る聖霊(みたま)
5 十字架・聖霊 この福音の
  証者となりてぞ 今こそ我ら
  使徒らの一路を 貫き往かん
  キリスト召団 勇みて進め
6 病患(なやみ)ある者に 手を按(お)き癒(いや)し
  求むる者には 聖書(みふみ)を語り
  迷う人々に 道をば示し
  苦しむ人をば 祈り助けん
7 世紀の終末(おわり)は ややに近づく
  我らは各々 聖名にありてぞ
  天賦(てんぷ)の仕事に 力を尽くし
  主のため世のため 生涯(いのち)を捧げん

 
●(詩)「東京駅頭」
    召団讃歌B13「東京駅頭」
  ――噫小池政美――
    (1981年9月16日作 讃美歌312 「いつくしみ深き」の曲で)
1 東京駅頭 見送りてける
  兄(かれ)の面影は 髣髴(ほうふつ)として
  わがまなかひにぞ 今も浮かびて
  時の流れをば 忘れしむるか
2 噫、小池政美 胸底深く
  十字架を荷(にな)いて 独り北京に
  十字架に在りて 戦い貫(ぬ)けり
  誰かは知らんや 彼の涙を
3 この世を去るとき 白き衣の
  キリスト現われ 彼を呼びけり
  「主は招き給う 我を聖国へ
  さらば母上よ ゆるし給えや!」
4 秋はまだ浅き 九月二十二
  北京のみ空へ 天翔(あまが)けりける
  時しも青春 二十路(ふたそじ)七つ
  彼の生涯(いのち)こそ 永遠(とわ)の星なれ


●(詩)「ああ見晴るかす」
召団讃歌B14「ああ見晴るかす」
――長城と天壇――
  (1981年10月9日作 讃美歌515 「十字架の血に」の曲で)
1 ああ見晴るかす 北の尾根の
  万里の長城 何を語る
  登り往き 筆を執る
  わが後べに 誰か迫る
2 振り向き見るに 誰も居らず
  み霊に震えて 筆は走る
  ささやくは 誰なるや
  振り向きけるに 人影なし
3 ああ霊(く)しきかな 小池政美
  われらを呼びてぞ 黙示しける
  鳥の如 城を越え
  天壇(てんだん)指して 魂(たま)は飛べり
4 大理石なる 天壇の蔭
  犠牲(いけにえ)の壇の ほとりに坐し
  主に歌い 祈り入る
  仰げば月と 宵(よい)の明星
5 見よ天壇の 真中の上
  白妙えの天女 舞い昇れり
  われらの主 キリストよ
  この霊徴に 我ら応(こた)えん


●(詩)「世界に名だたる」
   召団讃歌B15「世界に名だたる」
 ――中国の旅――
(1981年10月24日 & 10月26日作 「追憶」の曲で)
1 世界に名だたる 北京の故宮に
  宝玉玖瑰(マイエ)の 輝く宝刀
  見出しわれらは よろこびに酔えり
  その道しるべは 小池政美なり
  ああ夢路の啓示(しらせ)!
2 北京と洛陽の 七宝芸術展覧
  いづれも中国の 胸に沁み入る
  われらの女史の 芸術(たくみ)の源(もと)こそ
  主のみ力なり 聖名に栄光あれ
  ああ友好の虹よ!


●(詩)「汝れわが衷に」
召団讃歌A10「汝れわが衷に」
(1980年2月7日作 讃美歌48「静けき夕の調べによせて」の曲で)
1 「汝(な)れ我が衷(うち)に しかと宿りて
  祈り求めよ さらば成るべし
2 み父のわれを 愛する如く
  汝を愛す わが愛に居れ」
3 キリストのため 生命(いのち)を賭(か)けて
  人を愛せん み霊(たま)は助く
4 「汝れは愛なり 愛の炎ぞ!
  聖霊(みたま)の愛を 貫き生きよ」


●(詩)「羔の血を
召団讃歌A15「羔の血を」
(1980年10月16日作 田中穂積作曲「美しの天然」の曲で)

羔(こひつじ)の血を 身に浴びて
あがなわれたる 白き群
苦難(くるしみ)経たる 生涯(いのち)ゆえ
栄光(さかえ)ゆたけき 御座(みざ)の許(もと)

神の幕屋(まくや)の 張られたる
その天然の 霊泉に
渇(かわ)きを知らぬ 永遠(とこしえ)の
生活(いのち)たのしむ パラダイス

数えつくせぬ 国民(くにたみ)の
星と散らばる 幕屋かな
類は相呼び 集りて
主のエクレシヤ(召団)ここに成る

我らも地にて 聖名(みな)ゆえに
十字架を負いて 生き貫(ぬ)かん
み霊の光 身に浴びて
主のみ生命(いのち)を 身証(あかし)せん

恵信生活六十年とわれらの使命” に対して1件のコメントがあります。

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