賜った無「私」の信仰に生きる(奥田昌道)
賜った無「私」の信仰に生きる
十字架・聖霊一如の恵みを証しした生涯
──小池辰雄先生を送る──
(「キリスト新聞」1996/11/16より転載)
1996年11月16日
京都キリスト召団代表 奥田昌道
私たちの敬愛してやまない小池辰雄先生が、今年8月29日、十日ばかりの患いの後、九十二年の地上の生を終え主キリストのみもとへ旅立たれた。先生はご高齢にもかかわらずお元気であられたので、こんなに早く世を去られるとはだれも思っていなかった。
先生は1904年2月7日、東京は本郷弥生ケ丘の生まれ、幼少時に父上を亡くされ、母上の手で育てられた。父代わりであった長兄政美さんが1921年秋、北京で日本公使館に在勤中病死された。その遺骨を抱いての帰途、黄海の船上で母上は長年の過労と心痛のため失明された。時に先生は17歳、人生のどん底を味わわれた。翌年秋、内村鑑三の『宗教と現世』等の書物により心開かれ、やがて内村先生の集会に連なり、さらには藤井先生の門下となって信仰の道を歩まれた。30年、内村、藤井の両先生が相次いでこの世を去られた後、40年9月22日、政美さんの命日を期して、失明の母上を慰めるべく、先生は武蔵野のご自宅を集会場として独立の集会を開かれた。
先生は聖書からヒントを得て、ご自分の集会を「武蔵野幕屋」と名付けられた。50年晩秋、先生は深い聖霊体験を賜り、信仰の一大飛躍を遂げられた。自分の側の信仰ではない、主の十字架が「我」という罪そのものを完全に贖いとってくださった。無「罪」・無「私」を賜った。この恩寵の霊的根源現実の場に聖霊が、みたまの主が入ってくださった。爾来、先生は十字架・聖霊一如の恵みを身証し、主キリストの無限無量の愛に抱かれて、神讃美の生涯を貫かれた。
「みたまの主キリストはわが生命なり、私からこれを取れば何も残らない」
これが先生の口癖だった。
ドイツ文学者としての先生は、『聖書より見たるゲーテのファウスト』なる論文に顕れているように、ドイツあるいはヨーロッパの文学や精神史を聖書の光をもって把握しようとされた。東大教授、獨協大教授、獨協中・高校長としての先生は、常に、人間は絶対者の前にひれ伏す謙虚な魂であるべきことを説かれ、また聖書の素晴らしさを語られた。先生の思索と信仰は、『無者キリスト』『無の神学』『百世の師ヒルティー』『聖書の人ルター』『聖書は大ドラマである』など全十巻から成る『小池辰雄著作集』に結晶している。これらを通して先生の思想と信仰の神髄が広く日本のみならず世界の人々に理解され、新しい世紀の精神的支柱となることを心から祈るものである。

